2人目伊藤さん⑤
そんな伊藤さんの姿を見ていると、
かわいそう
という気持ちが芽生えるのがきっと普通の人だろう。
だが、僕は違う。
そんな上品には育たなかった。
伊藤さんのような人が楽しかやっていたころ、
僕は、彼女たちからまったく相手にされなかった。
相手にしてほしかった。。
僕も一緒に遊びたかった。
いつか、、
いつか見返してやる!
彼女たちから相手されなかったおかげで、あり余った時間と
彼女たちから相手にされなかったおかげで生まれたジェラシーという名の、歪んだ憎しみのパワーで
勉学に励み、
仕事に打ち込み、
収入的には、人より多く手に入れることができた。
こう言うと、むしろよかったんじゃないか、
という人もいるだろう。
確かに僕の場合は結果的にはよかったのかもしれない。
だが、あの頃味わった、虚しさ、屈辱感。
この世にいてはいけないんじゃないか、という思いが常にあった。
なによりも、僕が大事にしていた(つもりだった)僕の友達は、ある日突然連絡が取れなくなり、後に自殺してしまったことを知らされた。
僕の友達は、やはり僕と同じような境遇だった。彼から、自殺の理由を聞くことはできなかった。止めることもできなかった。
だが、
こんな世の中に生きていても仕方がない、
と思い、命を絶ったことは間違いない。
その思いは痛いほど理解できる。自分も死にたいと思ったことは何度もあった。
僕には闘う意志が残っていた。ただ、もしそれが残っていなければ、彼と同じ道を歩んだかもしれない。
お門違いであることは百も承知。
それでも僕たちは、彼女たちの目に映らない悲しさに打ちのめされた。
そんな当時の僕の姿を見て、かわいそう、だと思うだろうか。
おそらく思わないだろう。
だって、原因がなんにせよ、やはり自業自得なのだから。
そう、かわいそうなんかではないんだ。
それが、かわいそうではないのなら、
今目の前にいる、伊藤さんは、かわいそうな人なのだろうか。
否
ざまーみろ、だ。
そう、彼女の現在の姿を見ていて、胸に抱いた感情は、
勝利の感覚だ。
まったく相手にされなかった人に、今こうして媚びられている。
気持ち悪い話しだが、
いままでの自分自身の努力していた姿を思い浮かべ、尊敬の思いを抱いた。